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専門学校時代・1

【専門学校・1】
福岡県での一人暮らしが始まった。
いよいよ、漫画を描くための勉強が始まる。
緊張する。
まず、どんな人達がクラスメイトなのかが、不安だった。
クラス全員が、漫画家になろうという人間だ。
もしかすると、クラス全員「オタク」なのかもしれない。
オタクに囲まれて2年間過ごさなければならないのか…?
そう思うと不安だったのだ。
しかし、クラスメイトは、意外に(?)普通の人達だった。(暗い人もいたけど…(笑))
おもしろい人もいたので、僕は楽しく学校生活をおくるようになった。
(高校時代とはまったく違う!(笑))
その中で一人、「ひろ」という友達ができた。
彼とは、1年の夏休みが終わったころから仲良くなって、その後、親友と呼べる仲にまでなった。
授業は、デッサン・イラストはもちろん、短い(1〜2ページの)漫画を描く授業、色彩の授業…など。
いろいろな授業があったので、正直おどろいた。
僕が1番好きだった授業は、「漫画シナリオ」の授業だ。
この授業…というか、この授業を教えていた「オカじぃ先生」に出会ったおかげで、僕の頭の中・考え方が、かなり変わった。
いや、まるっきり変わったと言っていいかもしれない。
「オカじぃ先生」との出会いは、僕の人生を一変してしまうものだった。
この言葉に誇張はない、と言っておこう。
ものすごい影響を受けた。
オカじぃ先生のシナリオ作りの基本は、「パクリ」だった。
いかにして、優れたストーリーをパクるか。
それを重点的に習った。
パクる…と言っても、盗作をするのではない。(当たり前だが…)
売れている漫画を例に出して、なぜ売れているのか?…ということを分析する。
分析したものから、読者(大衆)にウケる法則のようなものを導き出して、その、ウケる法則のようなものを「パクる」のだ。
「どんなに新しいことを考えついても、すでに誰かがやっている。」
というのが、オカじぃ先生の持論だ。
僕の大好きな「ドラゴンボール」も授業に出てきた。
ドラゴンボールの天下一武道会は、あらゆる漫画にパクられているらしく、オカじぃ先生は「天下一武道会方式」という名前をつけていた。
他にも、人がどういうときに笑ってしまうか…という「笑いの法則」というのも習った。
その授業はとても面白いもので、「なぜバナナの皮を踏んで他人がこけるのを見て笑ってしまうのか?」ということや、「赤ちゃんがいないいないばあで笑うのはなぜか?」ということなどを、理論として習ったりした。
そんな授業の数々は、僕にとって、とても新鮮な考え方だった。
僕は「オカじぃ先生」を尊敬してしまった。
だから、しょっちゅう先生の家にお酒を持って押しかけては、いろいろと質問を浴びせたり話を聞いたりしに行っていた。
夏休みが終わってから、なんと漫画クラスで行く海外旅行があった。
行き先は、サンフランシスコだ。
海外研修という名目で行くので、向こうでは、プロのイラストレーターの絵を見たり、アメリカの漫画ショップに行ったりもした。
…が、たいていは、町のど真ん中にバスから降ろされ、自由行動ばかりだった。
毎日。
毎日、自由行動。同じ場所で。
それなりに楽しいのだけど、これは果たして海外研修と言えるのかどうか、はなはだ疑問だった。
サンフランシスコでは、パントマイムの人たちがけっこういた。
体中、金色(もしくは銀色)に塗って、ポーズをとったまま動かない人やロボットのように踊る人などがいた。
文字通り頭のてっぺんから爪先まで、服も靴もめがねも金色なのだ!
そんな姿で止まっている人は、まるでよくできた彫刻のようだった。
僕はもちろん観光客らしく、パントマイムの人の前で、記念写真を撮った。(笑)
海外研修も終わり、年も明け、春休みが始まろうとしていた。
その時期には、進級・卒業製作展がある。
この時に、僕らのクラスは、みんなで1冊の漫画本を作った。
一人1作品漫画を描いて載せるのだけど、全員は描かなかった。
漫画を仕上げられない人は、間にイラストなんかを描くことになった。
自分の描いた作品が本になるというのは、なかなか新鮮だった。
セリフなどの字も、自分でフォントを決めて貼り付けたりした。
僕は「にんじんくんとトマトくん」という絵本っぽい漫画を描いていたので、それに合うかと思って少し丸みのある文字にしてみた。
僕なりの工夫だったのだが、それが良かったかどうかは分からない。(笑)
その製作展では、他のクラスも作品をいろいろ展示していた。
僕の通ったこの専門学校は、いろんな学部があったので、展示してある作品もたくさんあった。
クラスは、ゲームクリエイター・プログラム・シナリオ、グラフィックデザイン、イラストレーター、雑貨デザイン、フラワーデザイン、などなど、ありとあらゆる学部があったといってもいい。
他にも、音楽、スポーツ、ダンス、声優・ペット…など多数あった。
僕は当時(もちろん)彼女がいなかった。
彼女ができたことは、それまでの人生で、なかったのだし…。
そこで、お祭り的なその進級展で、可愛い子を探していた。(笑)
ひとり、可愛い子を見つけた!
…が、女の子を口説いたりなんか、僕にできるわけがなかった。
できないというか、本心を言えば、したくないだけなのだけど。
僕は、臆病者なのだ。
進級展が終わり、学校も春休みに入ろうとしていた。
友達の「ひろ」に応援してもらったりして、その女の子をデートに誘おうと、その子がいる教室に行った!
…り、戻ったりした。
何回も。(笑)
そして何日も。(笑)
しかし、何日目かは忘れたけれど、ついにその女の子に話しかけたのだ!
僕にしては、なかなかの大冒険だった。
「あの、えと、進級製作展でお見かけしましたけど、あの、可愛いなあと思って…」
よく覚えていないが、こんな感じで声をかけたはずだ。
そして、な、な、なんと!
電話番号を聞き出すことに成功したのだ!
何回か電話してから、デートに誘ってみた。
「キャナルシティ」というデパートのボスみたいなところに一緒にいくことになった。
一緒に行く…といっても、現地集合だったけど。(笑)
僕は、友達の「ひろ」に、
「この服装で大丈夫かな?」とか、「髪型このままでもいいかな?」とか聞いたりして、おどおどしながらだけど、デートの日に備えた。
デート当日。
僕は、待ち合わせ時間よりも30分以上早く目的地に行き、待っていた。
待っている間、ランダムでふき出す面白い噴水を見ていたので、待つことに対する退屈感はなかった。
女の子は少し遅れてきた。
…といっても、遅れたのは10分かそこらのものだけど。
道が混んでいて、バスが遅れたらしい。
そのデパートのボス・キャナルシティの中には、ありとあらゆるお店が入っているので、ぐるぐる回るだけで1日デートする分には十分だった。
僕は、スポーツ用品店でトレーニンググッツを使ってみたり、家具屋のベッドに横になってみたり、噴水に見とれたりした。
しかし、どうも女も子は、僕の行動に引いていた気がする。(笑)
ご飯を食べたり、プリクラを撮ったりして、デートは終わった。
悪くないデートだった…と、僕は勝手に思った。
…しかし、その女の子は、そうは思わなかったようだ。
その女の子には、それから毎日電話をしていたのだけれど、あまり反応は良くなかった。
しかも僕は話がうまいほうではないし、特に話すこともないので、電話はひたすら沈黙が続いた。
女の子に、「用がないなら、もう電話かけてこなくてもいいよ。」…と言われるのも、無理からぬことだった。
毎日電話したことも逆効果だったのではないだろうかと、今では思う。
そう言われてから、僕はその子に電話をかけていない。
ショックはショックだったけど、別に落ち込んだりはしなかった。
まだ僕の気持ちが、「好き」というレベルにまでいっていなかったからだろう。
そんなことがあってから、春休みに突入した。
ある日、スポーツ科クラスに所属している女の子が、バイクの後ろに乗せてくれないか、と言ってきた。
僕はそのころ、中型バイクに乗っていた。
その子は友達で、実家が同じ山口県だったので、春休みに帰るときに一緒に乗せて帰ってほしいと言ってきたのだ。
僕は、「いいけど…、寒いよ。」と答えた。
結局、2人でバイクに乗って帰ることになった。
5〜6時間かけて帰るのだが、寒い!
しかし、そのことで、その女の子とかなり仲良くなった。
その女の子には彼氏がいたのだけど、僕と仲良くなって、よく一緒に遊ぶようになった。
スケートボードなんかを二人で練習したりした。
そんな感じで春休みが終わり、僕は2年生になった。
僕はだんだん、その女の子の事が、好きになってきた。
そして、その女の子と僕は、その後…。

