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ただようマリモ
【不思議なプチストーリー・29】 〜流れに身をゆだねることで生まれる安心感、そして、依存心〜
私はマリモ。
マリモは、動かない。
自分から動くということをしない。
いつも、まわりに身をゆだねている。
自分で動こうとしなくても、水の流れが、自分を動かしてくれる。
これはとっても楽だ。
肉体的にも、精神的にも。
自分の行きたいところへ流されたら、嬉しいことだ。
なぜなら、何の努力もしなくても、行きたいところにこられたのだから。
自分の行きたくないところへ流されても、大丈夫だ。
なぜなら、水の流れの“せい”にできるからだ。
自分の“せい”と思って、自分を責めることをしなくていいからだ。
自分が流されて、他の生き物にぶつかって迷惑をかけたとしても、気に病むことはない。
なぜなら、水の流れの“せい”だと言い逃れできるからだ。
自分は、ただただ流されてきた“無力なもの”なのです、と謝り、へつらい、同情を引くことができるからだ。
だからこそ、安心できる。
どこに流れても、自分は守られるのだ。
安心できる。
肉体的にも、精神的にも。
だけど、あるとき、なぜか、ふと思った。
もう、こんなことは、やめたほうがいいのかもしれない。
終わりにしたほうがいいのかもしれない。
と。
なぜそう思ったのかは、わからない。
水の流れが、怒って、激しい水流に巻き込んできたからかもしれない。
最近、行きたくないところにばかり流されることが多いからかもしれない。
なぜかは分からないけれど、そう思った。
でも、やめられない。
流れに身をまかすことが、どうしても、やめられない。
自分で動くことが、怖い。
自分で努力して動いてみて、失敗して変なところに行ってしまうのが、怖い。
他の生き物にぶつかって迷惑をかけてしまったとき、怒られたり嫌われたりすることが、怖い。
責任をなすりつける第3者がいなくなることが、怖い。
“守られるべき弱者”ではなくなるのが、怖い。
もう、私は、水の流れに身をまかせなければ、何もできない。
よりすがるものがなければ、何もできない。
今日も私は、“依存”という流れに身をまかせて、ただよう。
私には、身をまかせてただようこと“しか”できない。
よりすがることから生まれる安心感と、自分で立ち上がる自立心は、共存できないのだ。
そして、よりすがることは、この上なく、、、、、甘露。

